旅先などで、お寺の庭を見ながらお抹茶をいただくことありますよね。
日常の雑踏から離れて、ゆったりとした気持ちになれる穏やかなひととき。
そんな時は、心のゆとりも生まれるのか、普段気にかけないものにも目が止まります。
床の間に飾られた【掛け軸】もそのひとつ…。
気にはなりつつも文字が読めないことも多く、眺める程度でやり過ごしてしまうのですが、茶道や茶会では、この掛け軸に意味や思いが込めれらていると聞きます。奥深そうなこの世界、すこ〜しのぞいてみたいと思います。
茶の世界での「掛け軸」
そもそも掛け軸とは、
書や絵画等を裂(きれ)や和紙で表装して、床の間や壁に掛けるように作られた軸物のこと。
茶道においては、【掛物(かけもの)】と呼ばれていて、立派な茶道具のひとつです。茶道は、お茶とお茶菓子を頂くとともに、茶道具やその場全体を見て感じて味わう楽しみなので、その中心となるのが掛け軸です。
『室町時代には唐絵が多く掛けられていましたが、村田珠光が一休禅師から墨跡(ぼくせき)を印可の証として授かってから、仏画や唐絵に代わって墨跡を掛けるようになり、武野紹鴎が藤原定家の「小倉草子」を掛けてから、茶席に古筆(こひつ)を掛けるようになり、江戸時代に入ると古筆切や色紙、懐紙が、宗旦時代からは茶人の画賛も掛けられるようになります。』
(出典:和の心手帖)
掛け軸を飾るようになったのは、茶の開祖である村田珠光が茶席に墨蹟を持ちこんだのが最初だと言われています。それ以前の掛け軸は中国・宗の絵画がほとんどでしたが、珠光が一休宗純に参禅して墨蹟を授かったものを表装して四畳半に飾ったことから禅語の掛け軸の始まりだとされています。これは見て楽しむことから、見て深く考えることへの転換だといえましょう。
(出典:和比×茶美)
ここででてくる「墨蹟(ぼくせき)」、「古筆(こしつ)」。
墨蹟(ぼくせき)とは、禅僧(お坊さん)が、紙や布に筆をつかって墨で書いた禅語や漢詩、
古筆(こしつ)とは、平安時代から鎌倉時代の能筆家(書家)が書いた禅語や漢詩です。

掛け軸の歴史において、よく見かける「墨蹟(ぼくせき)」「古筆(こひつ)」は、茶の世界の始まりとともに広まったのですね。それに伴い、かけ軸も楽しむだけでなく、禅の教えを背景に、掛け物を通して深く考えるように変わっていったのでしょう。
掛け軸にこめられたもの
茶会での掛け軸は、お花と同様にいつも同じではありません。
では、ここには決まりごとや意味が込められているのでしょうか?
『掛け軸には、季節を感じる言葉や、茶人の言葉、日本古来の言葉などが書かれていて、お稽古の場合は先生からのメッセージ、お茶席の場合は亭主(お茶席の主催者)からのメッセージが込められています。
(出典:はじめての茶道ガイド)
『南方録』に「掛物ほど第一の道具ハなし」とあるように、茶席で最も重要とされ、茶事や茶会の主題というべきもので、茶道の道具の取り合せの中心となるものです。
お客様を招いた茶席(茶会、茶事など)のメインテーマは、掛軸の言葉に表わされています。この言葉の意趣で、お客様をお迎えし、お客様にはその意趣で、安らぎの時を過して戴きいという思いからですね。
掛軸の言葉は、書かれた文字の通りではなく、その奥には必ず、禅茶の心、日々の生き方への諭(さと)し、自分づくりのヒントが内包されています。
(出典:和の心手帖)
茶会の主たるテーマやメッセージが、掛け軸の中にさりげなく重ねられていることが多いようです。表面的なものではなく、書の表現方法も含めて、その時の深い思想や精神を現しているのでしょう。
お寺や茶室でお茶をいただくときは、そこにある掛け軸に興味をもってみましょう。
今のあなたに大切なメッセージが見えてくるかもしれませんね。